2015/07/06
死の島事件
1994年に起きた事件。
3月21日、ウイスコンシン大学理学部の生物多様性研究グループ8名がチャーター漁船でコエリョ諸島エステバン島に上陸した。彼らは主としてアメリゴツカツクリシロアリとそこに寄生するアメリゴシロアリカリバチ、捕食者アメリゴコガタアリクイの生態を調査に来たのだった。
エステバン島には大型補食動物は生息しないとされており、このことから、特に銃などの護身用装備をもっていなかった。
3月24日、朝方から濃霧が発生した。まず、昆虫トラップの回収に出たD・クシニッチ教授が行方不明となった。捜索に出たR・ブレジェンスキ、J・マクナマラ、C・オルブライト研究員も行方不明となった。彼らはガーミン社のハンディGPSを持っていたため、道に迷ったとは思われなかった。
3月25日、霧が晴れ、C・ファロー准教授、N・ミネタ研究員が行方不明者の持ち物と肉片を発見。濃霧がある間は電波障害が発生していたため、夕方、濃霧が晴れたあと、無線機ですぐに救助を求めた。
3月27日、アメリゴ海軍陸戦隊(R・メンドズ中尉指揮緊急展開中隊)が救助のためダイハツ(*)型上陸用舟艇で到着。C・ファローとN・ミネタを保護したが、N・ミネタは発狂していた。C・ファローの証言により、カワウソ様の生物におそわれたことが判明した。その直後、再び濃霧となり、外部との連絡が全く取れなくなる。この直後、キャンプがカワウソ様の生物数頭に襲撃を受け、中隊の半数が死亡する。
C・ファローの証言によるカワウソ様の生物の描写:
尾を含めた全長が5m、尾を含めない体長が3m、体高は1m、外耳は目立たず(あるいは外耳がない)、短めの足は胴体の直下についている。全身が短い毛に覆われ、鼻梁が突出しており、鼻梁と口の周りには猫のような長い感覚毛が生えている。口は非常に大きく開き、歯は犬のように機能分化している。足はクマのように掌が地面に密着する形状となっており、5本の爪がある。夜目が効き、鋭い嗅覚を持つ。毛皮は黒と茶色の斑(ぶち)模様となっている。尾は毛が少なく、尖っており、このことと顔の造作から、巨大なカワウソのように見える。動きは豹のように俊敏。陸戦隊の自動小銃による射撃を受けてもひるまずに向かってくる。また、追跡を好み、一度狙った獲物は逃してもしつこく狙っている。
3月28日から29日にかけて、数度の襲撃を撃退するも、R・メンドズ中尉を含む中隊のほとんどが死亡した。生き残ったのはC・ファローとE・コステロ二等兵のみだった。濃霧が晴れるのを待ち、C・ファローとコステロ二等兵はダイハツで脱出し、アメリゴ沿岸警備艇「レメディオス号」に救助された。
その後、陸戦隊の増援が再度上陸したが、研究者や兵士の遺骸はもちろん、キャンプ跡や遺留品すらも発見することはできなかった。
ところで、1965年、南アフリカ・キンバリー大学の発掘チームが、南アフリカ南部「カルー統」地層から、二畳期の哺乳類型爬虫類(キノドン)の化石とともに、「自動小銃」や「破片手榴弾」の化石状物体を発見していた。二畳期とは、およそ2億年から3億年前の時代であることから、のちにこれは、未知の巧妙な手段で、地層内に仕込まれた悪質な悪戯との見解が出されているが、「死の島」事件との関連は不明である。
ダイハツ
1940年、日本とアメリゴが海軍交流を行った際、上陸用舟艇の実物として、喫水長が14mの特型運貨船(通称「大発」)の供与を受けた。これをもとにした舟艇がその後アメリゴ海軍カブレラ工廠で開発され、現在でも使用されている。その「42式上陸用舟艇」は喫水長が14mであり、いまだダイハツと呼ばれている。ところで、これは自動車会社のダイハツとは全く関係はない。