2016/05/31

リノーリの暗殺


1848  教育大臣モーリ・デ・リノーリ暗殺。
守旧派の壮士にナイフで刺される。

モーリ・デ・リノーリの生涯(アメリゴを代表する政治家の典型)

1801年、ミランダに生まれ、パリへ留学。シモン・ボリーバル軍に従軍、参謀として活躍する、、と伝えられるが事実ではないことがわかっている。
長年地方長官をつとめた後、中央政界に登場した。のち、初代教育大臣となる。
持ち前の弁舌とカリスマ性で政府内で実権を握る。教育改革、税制改革などの中で辣腕を振るいつつ、巧妙に上級階級の特権を拡大することにつとめ、富の偏在化に貢献したたため、民衆のみならず政治家からも「亡霊」というあだ名で呼ばれた(しかも顔色が悪かった)。
しかし、教育改革実施中、守旧派を冷遇したことから恨みを買い、国会会期中、国会ラウンジで守旧派壮士ティンカー・フアレスのナイフに腹部大動脈を刺され倒れた。
だが、居合わせた政府要人は助けの手をさしのべることもなく、デ・リノーリは血の海の中でまさに亡霊のようにもがき苦しんで死んだ。