2015/08/29

昔話としての覚え、覚えとしての昔話

このタイトル、、、山口昌男か中沢新一っぽくしてみた。昔話だからね。

さて、先日、話題になったという大森望氏のインターネット黎明期についての文章を読んだ。

なるほど、、、
そーいやオレも1993年にMac Centris610というのを買ってNifty Serveなどに加入し、パソコン通信なるものをしてみんとしてすなり。そのときの通信ソフトはJtermというやつだった。(まつもと)
Nifty Serveの現代思想フォーラムで誰かに対する罵声(罵文?)を初めて目にしてどきどきしながら床に入ったのを思い出す。

その後1995年ころにほむっぺを作ったっけ、、、東芝系のInfoPepper(今ある似た名前の会社とは異なります)というプロバイダだ。
最近まで使っていたAdobe Pagemillでページを作成し、Fetchで写真や絵などをアップして悦に入っていたわけだが、そのころカウンタがあれば赤面する総アクセス数。(おそらく友人2人くらいで2桁くらいじゃないか!)ああ、、恥ずかしい、、、

その後、米国から帰ったあと、一念発起して2000年にApple iToolsで喧噪社サイトを作成したんだっけ、、、、その後、.Mac、mobile meと変遷した。
(喧噪社サイトも、最初はトレックが発信するオフィシャルニュースをそのまま配信するなどのお気楽なファンサイトだったんだけど、2002年以降は、知られざるクラインの光の部分および影の部分を、史学的手法を用い実証的かつ批判的に発信するサイトになっていて、自分でもびっくりだ。)←大きく出た

ここでAppleが個人ほむっぺのサポートをやめちゃったんで、やむなくFC2のほむっぺサービスに移行した。今考えるとFC2やめときゃよかったんだが、、、事件のあおりでサービス停止になったら別のほむっぺサービスに移行しよう。

喧噪社サイトは多いときで1日50ページビューあった。いまはたぶんほとんどないのだろう。(未確認)
日記的なメディアとしては、最初は喧噪社ほむっぺにいちいち日記的なものをアップしてたんだけど、めんどくさくなってAlt-Rの日記サービスに移行。

Alt-Rがサイバーテロで消えてしまってから、たぶんなくならないだろうという親方日の丸的判断でGoogleのbloggerに移行した。
そして現在に至る、というのが弊社の主な沿革、といえる。その間、コンピューティング環境としてはこのように移行した。

1993 Apple Centris 610
1999 Apple PowerBook G3 bronze (java)
2003 Apple PowerMac G5 Single Processor
2011 Apple Mac mini sandy bridge

ということで、メインの機械は22年間で4台しか買っていないことを褒めて欲しい。見事なまでにAppleだ。Appleにオレを表彰して欲しいくらいである。
それでもだいたい5-6年に1回買い換えていることになるな。

(このあと、この昔話を書いたことを、ある意味後悔することになるが、それは後日アップしよう)