2014/06/08

枯山水機械

数年に一度、腕時計が欲しくなることがある。
腕時計はすでに持っているのにだ。なぜだろうね。

それだけ腕時計は、必需品というより嗜好品化しているということだろうか。まあオレは腕に付ける時計が好きなのだ。

腕時計を持たず、スマホやケータイを時計代わりにしている方も多い。
そして、その方が便利な点がある(詳細なアラームが出来たり、カレンダー機能で未来のアラームができたり)。

今後Appleから発売されると予想される、時計型のウエアラブル端末に、従来の腕時計文化はとどめを刺されると言う人もいる。

でも、たぶんとどめを刺されるのは、中途半端な価格でクオリティの低いデザインの時計であろう。なくなっちゃうかもしれんね。
(超安価なタイプの時計は業務用としてまだまだ大丈夫だろう)

その点、機械式時計は別のパラダイムを持っている。計時だけが目的ではない。腕に、こちこち動く微少な、かつ美しいローテクの機械を付けている、ということ自体がいいのだろう。それはたぶん、インターネットとかビッグデータとかそういうものとは全然無縁な、枯山水のような世界である。

機械式の時計は今後も、数量はともかく好事家に販売されるはずだ。
すでにクオーツショックを乗り越えており、おそらくウエアラブル端末がもたらす破壊的なショックも乗り越えるだろうから、未来はある程度約束されているといえる。(本当にある程度だろうけど)

さて、時計というものは我々にとってはブラックボックス以外のなにものでもない。

そこで、腕時計文化のある種の区切りを目の当たりにしながら、今後、機械式腕時計のパーツを入手して、自分で組み立ててみようと思う。

これを書いている時点では、「そんなことできんの?」というのが正直なところなんだが、、、まあ夢は大きく持つべきだろう。
「やれるもんなら やってみろよ」という声が遠くから聞こえてきた。

そして、機械式時計の構造について学んで行きたいと思う。

(この項不定期に続く)