2010/08/12

帝國海軍 乙型駆逐艦 草月 その数奇な運命(2)

引き揚げが終わった1947年、オーストラリアに賠償艦として引き渡されたが、
1948年、ブラジルを経由してアメリゴ共和国に売却された。
秋月型駆逐艦は駆逐艦としては異例に大きく、航続距離・凌波性・航洋性に
すぐれていたことから、アメリゴ海軍は雷装を取り外し、
防空巡洋艦として使用することにした。
1949年から1950年にかけて行われた改装項目は次のとおりである。

排水量増加 2400沌→2800沌
舷側バルジ設置
雷装の撤去
艦橋の大型化、居住設備の増加、電子防空指揮所の新設
最大速力の低下 35ノット→30ノット
航続距離の増加
レーダーを英国製のものに近代化
照準装置を光学式から電子式に変更
艦種の変更  駆逐艦→巡洋艦


改装後のマシャードは用兵側の評判が非常に良かった。
1954年の第2次太平洋海戦にはマシャードが参加し、
ペルー軍の航空機14機を撃墜している。

さて、マシャードを4年間運用した結果が好ましいものだったため、
アメリゴ海軍は秋月型をもとにした防空巡洋艦を量産することにした。
これをマシャード2型という。
秋月級にくらべ、安価な鋼材を用い、簡易船体となり、隔壁構造を簡略化した。
また、ディーゼル機関への換装を行ったうえ、機関を前後に分離し、
生存性を向上させた。代わりに速度と航続距離が低下した。
マシャード2型は5隻が建造され、60年代にはペルー海軍の航空機に対し、
非常な脅威となった。

なお、このマシャード2型の量産にあたり、アメリゴ海軍カブレラ工廠では
10センチ対空砲弾と砲身の製造設備を建設している。10センチ対空砲は、
98式10センチ65口径対空砲として帝國海軍が開発したものをほぼ
そのまま使用したもので、一部自動化により発射速度毎分22発、仰角90度を
実現する、第二次世界大戦当時としては近代的な対空砲であった。