【これまでのあらすじ】
漫画「惡の華」の登場人物である「仲村さん」が好き過ぎて、いろいろ考えている。この仲村さんという複雑な人物をどのように理解したらいいのか、、、我々同時代に生きる者に共通の課題である。
【本題】
第53話と第54話で、仲村さんは2回「忘れた」旨を言っている。
第53話では、仲村さんの父はどうなったのか、夏祭りの後どのように生きてきたのかを問われ、
「忘れた」「どーでもいいよ そんなこと」と答えている。
第54話では、夏祭りの夜、櫓から(春日くんを)突き落としたのはなぜかを問われ、
「さあ わすれた」と答えている。
第53話ではその口調や目をそらした表情の表現から、本当に「どーでもいい」ので「忘れた」、話す必要もないことが伺える。
しかし、第54話では、ある程度真剣な、なにかを飲み込んだ目で「さあ わすれた」と言っている。これは、「わすれた」のではなく、櫓から突き落とした理由が、仲村さんにとって「どーでもいい」ものではなく、なにか大切なものであるが、春日くんに話すことを差し控えなければならないものであることを示している。
答えた瞬間の仲村さんの心を想像すると、心の奥底を鈍い刃物でえぐられるようだ。
突き落とした理由については、我々が自分自身で斟酌するべきものだろうが、たぶん、我々同時代に生きる者にとっても、大切な意味を持つものに違いない。
【追記】
仲村さんが母と生活しているのかを問われたときは素直に「そうだよ」と答えていることにも注目したい。それは「どーでもいい」父との関係との対比となっている。
おそらく仲村さんにとって、仲村さんの母は大切な人物なのだろう。
なにかそこに物語の鍵のひとつがあるような気がするが、そこまで描かれることはないだろう。