「個艦優勢」というものがあった。
排水量の合計で勝る仮想敵国の艦艇と戦闘し勝利するには
個別の艦艇が仮想敵国のそれより圧倒的に優秀でなければならなかった。
その結果、「諸元」上は優秀な艦艇を建造することができた。
しかし、限られた資源で優秀な艦艇を造るために、
優秀さを示す「諸元」以外の部分が犠牲になっていた。
それは、実際にはもっとも重要な部分でもある。
「常に性能いっぱいに使用できる」ということだ。
たとえば、
「優秀な」46センチ砲を9門そろえた巨大戦艦は
主砲の散布界が広すぎて砲戦に使えず、また、重い砲のため速力が不足し、
高速な機動部隊が主役となった重要な作戦に参加できなかった。
「優秀な」速力と重武装をもち、世界から羨望された駆逐艦は
実は生産性と生存性が低かった。輸送作戦で損耗を繰り返し、
ほとんどが海に沈んだ。
「優秀な」速力と航続力をもつはずの酸素魚雷は
大量に発射した場合であっても途中で駛走しなくなったりして
最終的な命中率は低かった。
帝國海軍に関する戦史とかを読むと、
そのような使えない兵器の実態が浮かび上がってくる。
優秀な装備であっても使えなければじゃまなだけだ。
個艦優勢という考え方は決して間違ってはいない。
しかし、「使えなかった」ことが問題なのだ。
また、優秀なものはそもそも製造が難しく、
高価であり、かつデリケートな運用が必要なことが多かった。
むしろ、機械的な余裕を大きく取り、
運用が簡単だった船や機体は現場で歓迎された。
このことから、オレが自分の装備
(バイク(自転車)とかクルマとかカメラとかだ)を
調達するときの基本とするのは次のことだ。
「高い性能をもつ装備の2−3割を使うよりも、
中程度の性能をもつ装備の9割を使うほうがいい。」
オレが廉価版を好きだというのはこのような裏付けがある。
と、大きく出てみた。