先日、遅ればせながらGyao!で無料配信されている「私モテ」の第一話を見てみた。
正直、何度も心が折れそうになりながら、何回か一時停止し、なんとか視聴することが出来た。
その後、無料配信の漫画を読み、Kindle版も2〜5巻を読んだ。
オレ自身重度のぼっちであり、描かれる「ぼっちあるある」が身につまされるのであるが、不快ではない。心が折れそうになるが、不快ではないという。(でも時々一時停止しないと、心がもたない。)
作者のぼっちへの肯定感が感じられるためか?
「ぼっちのままじゃ本当はだめなのかも、、、でも、たとえぼっちでも全然生きていていいし、それで充分であり、無理に変える必要はない」というメッセージがあるのだろう。
主人公黒木智子(もこっち)は社会不安障害=SAD Social Anxiety Disorderに苦しんでいる、と考察するブログも読んだけど、もしSADにスペクトラムの概念があるなら、もこっちはスペクトラムの一番端っこの方だろう。まあ、心配すんな。>もこっち
最新の連載までチェックすると、少しずつもこっちは対人関係で成長しているように思えるが、、、気のせいかもしれない。
作者が意図的にやっているとしたら素晴らしい。
【結論】
高校生のころは、もこっちと同等(あるいはそれ以上)のぼっちであったオレも、なんとかここまで生きてくることができた。
高校生のころは、もこっちと同等(あるいはそれ以上)のぼっちであったオレも、なんとかここまで生きてくることができた。
だから、オレより社交的なもこっちは、きっと生きていける。
でも、もし、夢の中でもこっちに会うような機会があったら、そんなことは面と向かって声に出して言わずに、物陰からこっそり見守るだけにしたい。