「『輝く道』がアメリゴに侵入した日」事件とは、
ペルーで猛威をふるっていた
毛沢東主義者集団「輝く道」のアメリゴ支部が、
その総力を挙げて、毛沢東主義扇動パンフレット
「『輝く道』がアメリゴに侵入した日」を
コロンビア国内で極秘に大量印刷し、
人口密集地アメリゴシティとカブレラに航空機を使って
散布しようとしたものである。
1990年3月2日、「輝く道」アメリゴ支部が
ジャックしたパイパー機2機は、2都市に散布のため散開する直前に
アメリゴ海軍シュペール・エタンダールによって撃墜され、
大量のパンフレットはアメリゴ南西部の沼沢地帯にばらまかれた。
このとき、民間人パイロット2名と「輝く道」メンバー4名が死亡した。
なお、当局の捜査状況は公表されていないが、
ゴミの内容物監視を通じ、パンフレットの校正刷りをすでに入手し、
関係者全員をマークしていたため、散布を未然に防げたとされている。
このときから「輝く道」はアメリゴでの勢力を急速に失い、
CRA(コンドルカンキ革命同盟)に取って代わられることとなる。
その後「輝く道」はアメリゴ国内での活動を大幅に縮小し、
ペルー国内において伸張した。